ウランバートルの日本人慰霊碑とアムラルト捕虜収容病院への行き方

モンゴル

この記事では、ウランバートルの日本人慰霊碑とアムラルト捕虜収容病院への行き方を解説します。
私が訪れたのは2024年の終戦の日の翌日、8月16日でした。

ウランバートルの日本人慰霊碑とは?歴史的背景を解説

ウランバートルの北部に位置するのダンバダルジャー日本人慰霊碑。

終戦後にモンゴルで抑留され亡くなった日本人捕虜を追悼するために、2001年10月に建立されました。その碑には「さきの大戦の後1945年から1947年までの間に祖国への帰還を希みながらこの大地で亡くなられた日本人の方々を偲び平和への思いをこめてこの碑を建設する」と刻まれています。

日本人死亡者慰霊碑

第二次世界大戦終結時、ソ連は64万105人の日本人捕虜のうち、12,318人(13,847人という記録もある)をモンゴルに移送。捕虜たちは主に建設労働に従事させられました。

過酷な環境の中、1,618人(1,684人という記録もある)の捕虜がモンゴルで亡くなり、彼らはウランバートル市のダンバダルジャーやフジルブラン、セレンゲ県やアルハンガイ県など、16か所に埋葬されました。ダンバダルジャー墓地には最も多い人数が埋葬されていたそうで、モンゴル国内にあるすべての遺骨が日本へと返還された後の2001年に、墓地の跡地にこの慰霊碑が建てられました。

この慰霊碑には、海部俊樹、小泉純一郎、安倍晋三の歴代首相たちも訪問したそうです。また、毎年8月15日には駐モンゴル大使がこの地を訪問し、献花が行われています。

アムラルト捕虜収容病院とは?その役割と歴史

アムラルト捕虜収容病院はダンバダルジャー寺院の隣にあった捕虜収容病院です。終戦後は日本人抑留者の病院として機能していました。その後は結核患者が療養するための病院として使われていたそうです。現在、病院の建物は建て替えられていますが、今でも病院として機能しているのかは不明です。私が訪れたとき、この建物に人がいる気配はなかったです。

この病院については、山邊愼吾さん著作の「ウランバートル捕虜収容病院」に詳しいです。軍医候補生だった著者は、モンゴルで抑留中にこの病院で勤務し、他の抑留者の治療活動を行いました。抑留中、無念にも病院で亡くなった方を、ダンバダルジャーの墓地に埋葬しに行ったりもしていたそうです。

病院と同じ敷地内にモンゴル殉難日本人霊堂があります。こちらは捕虜収容病院に勤務されていた軍医・春日行雄氏さんが建てられたものです。中には抑留者の遺留品が展示されていると聞きましたが、今回の訪問では入りませんでした。寺院の方に頼めば扉を開けてくれることもあるらしいです。

参考文献
  • 山邊愼吾著「ウランバートル捕虜収容病院」(草思社)

ウランバートル中心部からのアクセス方法(バス利用)

日本人慰霊碑へはウランバートル中心部からバスに乗って行くことができます。また、捕虜収容病院(ダンバダルジャー寺院)へは日本人慰霊碑から徒歩20分ほどで行けます。

日本人慰霊碑への行き方

日本人慰霊碑は小高い丘の上にある

日本人慰霊碑の場所はこちらです。「65-ын зогсоол」というバス停から徒歩15分ほどです。

以下、私が行ったルートです。

まず、モンゴル国立大学の前から28番のバスに乗って、バス停「17-р сургууль」27番のバスに乗り換えました。その後、バス停「65-ын зогсоол」で降りて歩きます。道沿いに北上していき、15分ほどで慰霊碑の入口に到着します。そこから緩やかな坂を登っていくと慰霊碑があります。

慰霊碑の入口
慰霊碑の途中にある墓標
慰霊碑の手前にあるモンゴルの地図
慰霊碑
慰霊碑に添えられた花束

慰霊碑には昨日8月15日に井川原賢駐モンゴル特命全権大使によって供えられたであろう花束がありました。私も、日本への帰還を望みながら無念にもこの地で亡くなられた方々を偲び、哀悼の意を捧げました。

アムラルト捕虜収容病院(ダンバダルジャー寺院)への行き方

ダンバダルジャー寺院の入口

アムラルト捕虜収容病院の場所(ダンバダルジャー寺院の敷地内)はこちらです。

日本人慰霊碑から来た道を南に歩き20分ほどのところにあります。寺院の中に入っていくと、右手に2階建て(3階建て?)の大きな建物があります。これが建て替えられたウランバートル捕虜収容病院です。山の病院と呼ばれた場所です。

右が建て替えられた捕虜収容病院、左が日本人霊堂

また、その病院の建物の手前に小屋があります。日本人霊堂です。こちらは、病院に勤務されていた軍医・春日行雄氏が建てられたものだそうです。8月の暑い日、建物の周りには草が茂っていて蚊が多かったです。

日本人霊堂

霊堂の門には鍵がかけられています。寺院の方に頼めば中に入れるのかもしれませんが、今回は時間の都合もあり、外から見るだけに留めました。

霊堂の入口にある案内

まとめ

ウランバートルの日本人慰霊碑とアムラルト捕虜収容病院への行き方を解説しました。

終戦の日の翌日に訪れることができて本当に良かったです。かつてここに抑留されていた人々は、どんな気持ちでこの地に連れてこられたのか、ここでの労働はどれほど過酷だったか、そして、祖国に帰ることが叶わず亡くなった方々の無念はいかほどのものであったか…そのようなことを想いながら、哀悼の誠を捧げました。戦争のない世の中になってほしいですね。

以上です。

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