2019年シルクロードの旅⑥タシケント・サマルカンド・ブハラ・ヒヴァ

ウズベキスタン

この記事は、2019年4月20日~5月25日までの約1ヶ月間、シルクロードを周遊した際の記録(日記)です。

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2019年シルクロードの旅のまとめ

タシケント – 2019年5月5日(Day16)

アライ・バザールに向かう。メトロの乗り換え駅で日本語を勉強している大学生に話しかけられた。大学2年だと言う。いきなり話しかけられたため、詐欺やボッタクリかと疑ってしまったが、どうやらまともな人のようだった。上手な日本語を話していた。NARUTOが好きで日本に興味を持ったと言っていた。カザフスタンやウズベキスタンではNARUTOが人気だそうだ。

タシケントの地下鉄駅は人が少ない。市内の中心部しか走っていないからなのか、バスやタクシーのほうが市民の足として機能しているからなのだろうか?

アライ・バザールは街なかにあった。地下鉄の駅を降りて、どこにあるのかわからなかったが、少しあるくとバザールらしきものがあった。チョルスーに比べると小規模だった。ざっと中を見て回り、いちごとはちみつとベリーを買った。はちみつを切るためのナイフも買った。はちみつを巣の状態で食べるのは初めてだったが、これがサクサクしていて美味しい。いちごは、これは日本なら特大サイズなんじゃないだろうか?実が詰まっていないんじゃなかろうかと思ったが、食べて見ると日本と同じ味でびっくりした。バザールにある定食屋でハンバーグのようなものとプロフを注文した。さらに持参したサラミと、さきほど買ったフルーツと一緒に食べた。なんとも豪華な昼食になった。どれも美味しいが、料理は少し脂っこい。旅行中、何を食べても脂っこいという感想しか抱かなくなった…

アライ・バザールの向かいのバス停から38番に乗り、日本人墓地へ。スルタノフ・ジャラロビッチ氏の資料館へ。ネットに書いてあった通りの道案内に従い、バス停を降りると、数分でジャラロビッチ氏の邸宅にたどり着いた。大きな家だ!さすが映画監督、門をくぐると広い中庭があり、金持ちそうな雰囲気がした。息子さんが案内してくれた。彼もいかにも金持ちそうな芸術家という雰囲気だった。

資料館、といってもジャラロビッチ氏の自宅の一室であるため、それほど広くはない。しかし、一個人がこれだけの資料を集めたのは素晴らしいと思った。彼は戦後生まれなのに、なぜこれだけのものを収集しようと思ったのだろうか?理由はともかく、彼の功績が日本とウズベキスタンの友好関係に寄与しているようだった。安倍総理もここを訪問されている。また、舞鶴にも招かれたことがあるようだった。いつか、舞鶴の博物館にも行ってみたいな・・・

日本人墓地は、ジャラロビッチ氏の資料館から少し歩いたところにあった。カザフスタンの抑留者戦没墓地と比べると、きれいに整備されていた。2つのオベリスクが建ち、モニュメントがあり、石に戦没者の名が刻まれていた。石畳が敷かれ、綺麗に植えられた花壇にマリーゴールドとサルビア(赤い蜜の花)が植えられていた。低い木が植えられ、木陰のベンチで休むこともできる。花専修大学のゼミ生からの石碑、創価学会の立て札など、明らかにカザフスタンで見たそれとは異なっていた。この違いはどこから来るのだろうか?ここはウズベキスタンの人たちにとっても、特別の意味を持つ場所なのだろうか?ウズベキスタンの抑留者は現地の人とも盛んに交流していたという。カザフスタンでは、そのような状況ではなかったのだろうか?あるいは、政治的・経済的な理由で、このような差が生まれているのか・・・

ナヴォイ劇場へ。日本人抑留者が建てたというその劇場は、荘厳でどっしりとした雰囲気があった。さすがに日本人観光客が多い。ソフトクリームを食べた。なかなか暑い日だった。カフェがあったのでそこでコーヒーを飲んだ。ウズベキスタン国立美術館も訪れた。広い美術館だった。

Premium Hostelの近くにある「National Food」というレストランで夕食を取った。軒先でケバブを焼いており良い香りがした。壺の中に入っているアヒージョのような料理はなんだろうか?かなりの人で賑わっており、期待が持てた。観光客というよりは地元に人に人気のお店らしい。店内で料理を作っている様子を見ることができる。注文の仕方がわからなかったので、店員さんに料理を指差して、オーダーした。ピーマンの肉詰めと肉料理を何種類か、そしてナン。かなり量が多かったので、満腹になった。熱いお茶も注文した。脂っこい料理なので、お茶を飲むとさっぱりしていい。全部で77,000ソム。ちょっと奮発したな。たらふく食べて満足だった。

タシケント→サマルカンド – 2019年5月6日(Day17)

翌日、SIMカードを買おうと思って、マリカシヨップというタシケントの電気街のようなところに来たが、あいにくSIMカードを買うことはできなかった。Samarqand DarvozaのOFB銀行で両替を済ませて、地下鉄駅へ。今日はサマルカンドへ向かう。

オルマゾールというタシケントの南にあるメトロの駅に到着。それにしても、タシケントの地下鉄の駅は壁の装飾が美しいな。オルマゾールの駅から外に出ると、タクシーの客引きに呼び止められたが、断固拒否してバスターミナルに向かう。駅から少し歩いたところにあった。すぐに見つかってよかった。

チケットカウンターもわかりやすい場所にあった。13時半発のバス、25,000ソムだった。乗り合いタクシーが30,000ソムだったので、迷うところではあったが、結局バスで行くことにした。中国製のバスに乗り込み出発を待つ。

ほどなくしてバスが出発。乗客はほとんどがウズベキスタン人のようだったが、欧米人のカップルもいた。この日は雲ひとつない晴天で、窓から見える草原の景色がいっそう美しく見えた。バスには備え付けのテレビがあり、歌謡曲らしき音楽が流れていた。30分ほど走ると完全に市街地を出ており、田舎道となった。周りには米か小麦の畑が広がっている。休憩をはさみ、山道を走る。道がひどく悪いが、しかし丘は美しい。西日に照らされてなおのこと美しかった。牛の放牧に出会う。サマルカンドの北部にあるバスターミナルに到着。もう夕方になろうとしていた。

ほとんど周りになにもないバスターミナルに降ろされた。タクシーを捕まえて、市街地へ向かう。これだったら、バスに乗らず最初からタクシーでサマルカンドの市街地まで行った方が、多少お金はかかっても早く到着できたかもしれない・・・まあ良いのだ。これは移動を楽しむ旅なのだから。

市街地の、レギスタン広場のすぐそばでタクシーを降りた。もう日が暮れそうだったので、レギスタン広場は明日じっくり見ることにしよう。ホテルはレギスタン広場からほど近い、入り組んだ路地の中にあった。

Hotel Rahmonは、その無機質な外観とは裏腹に、中庭は緑で溢れ、2階には広々としたバルコニーがあり、そこで食事を取ることができた。スタッフに部屋に案内される前に、そこでお茶を淹れてもらい、一息ついた。ビスケットのような菓子と、青い陶器のポットに入ったお茶。きれいなホステルというわけではないが、古いながらも開放的でくつろげる宿だと思った。部屋はシングル。

暗くなる前に、あたりを散策してみた。それにしてもサマルカンドは観光客が多い。日本人を含むアジア系の人はもちろん、欧米系の人も多く見かけた。レギスタン広場周辺が、観光客のためのエリアになっているようで、宿やレストランが密集しているようだった。Bibikhanum Teahouseという、テラス席のある観光客向けの食堂に入った。多くの人で賑わっている。コーヒーと、ケバブ、ラグメンを注文してみた。うん、どれも美味しい。

サマルカンド→ブハラ – 2019年5月7日(Day18)

今日もよく晴れている。カンカン照りだ。最高気温は30度近くなるだろうか?

Hotel Rahmonでは朝食が用意されていた。しかもこれが豪華なのだ。2階のテラスで朝食を取る。サラミとチーズ2種、ゆで卵2個、ヨーグルトの飲み物、パンが2種、そしてポットに入ったお茶。素晴らしい朝食じゃないか。旅行中、こんなまともな朝食を食べたのは初めてだったかもしれない。

朝食を終え、市内を散策する。サマルカンドには1泊しかしない。今日にはもうブハラに発つのだ。効率よく周らないといけない。とりあえず、レギスタン広場に向かった。昼間にみるとやはり美しい。観光客で賑わっている。中にはいってじっくり見学したいところではあったが、料金がそこそこ高いのと、あまり時間に余裕がないこともあり断念した。

次は列車のチケットを買うために、レギスタン広場の西側にある切符売り場に向かった。交差点に面した切符売り場では、列車のみならず飛行機の予約もとれるらしい。とりあえず、ブハラ行きの列車に空きがあるか確認したが、一番高いVIPクラスしか空いていないようだった。13万か11万ぐらいすると言われ断念。ちなみに鉄道は21時発22時40分着の便があった。諦めて乗り合いタクシーで行くことにした。

現金が足り無さそうだったので、NBUのATMに行ったが、使えないようだった。続いて、そのまま西に向かいOFBにも行って、窓口でクレジットカードを使って現金が引き出せないか聞いてみたら、こちらのなぜか出来ないようだった。なぜだろうと疑問に思いつつ、たまたま対応していな銀行なのだろうと思い、とりあえず向こう何日間かは手持ちの日本円で乗り切ることとした。

OFBの向かいのバス停でバスを待つ。白い制服の子供たちがアイスを食べながらバスを待っている。それにしても暑い。ほぼ満員のバスに乗り込む。シャーヒ・ズィンダ廟群へ向かう。

20分程度だろうか?市バスに乗ってシャーヒ・ズィンダ廟群についた。サマルカンドでレギスタン広場に次ぐ観光地だろう。入場料21,000ソムを支払う。廟に入った瞬間から、碧の美しさに感動する。壁を彩る細かな装飾がなんとも美しい。天井の装飾も、息を呑むような美しさだ。広い廟を見て回るのに1時間はかかっただろうか?その繊細さと美しさに圧倒されながら何度も写真を撮った。廟の少し高いところに上がると、サマルカンドの市街地が一望できる。サマルカンドは500年前からこのままの姿ですと言われても信じるだろう。古い町並みが広がっている。高いビルなど見当たらない。

廟群からほど近いシヨブバザールに寄ってみる。ここも大きなバザールだ。タシケントのバザールとさほど変わらないように見えるが、とはいえバザールは楽しい。ビビハニム・モスクな、レギスタン広場周辺を見て回った。昼食にサモサを2つ。

シヨブバザールからウルグ・ベク展望台行きのバスに乗る。展望台の近くに、バスターミナルがあるのだ。バス停の周りは非常に混雑しており、人と車でごった返していた。なぜかバス停の近くはナンを売る露天が多い。少し待っているとバスが到着。

展望台近くのバスターミナルに着く。ブハラ行きは?と近くにいた人に聞いてみると乗り合いタクシーがあるとのこと。運転手と交渉して、50,000ソムでブハラの宿まで行ってくれることになった。鉄道の半額以下だから、交渉としてはまずまずといったところか。時刻は16時半。しかし、一向に他の乗客が捕まらない。かなり長時間待たされているが・・・

乗り合いタクシー2台あり、それぞれ乗客がいたのだが、まったく客が集まらないことから、2台を1台にまとめることとなった。乗客の一人の同い年ぐらいの男性に、本当にこの乗り合いタクシーはブハラに行くのかという確認も込めて、どこに行くのか?と聞いてみたら、ナヴォイに行くそうだった。

18時になり、ようやく乗り合いタクシーが出発した。21時半休憩。タバコを吸う。乗り合いタクシーの運転手が言うに、ブハラは禁煙らしい。そういえば、サマルカンド、ブハラと来てタバコを吸っている人が減っている。路上に落ちている吸い殻もタシケントと比べると少ない。

Rumiについたのはもうかなり遅くなってからだった。ロシア人と思われるバックパッカーが、宿の前の共有スペースでワイワイと飲み会をしていた。欧米のバックパッカーに人気の宿のようだ。Rumiは民家のようなホステルで、ヨーロッパ風なのかソビエト風なのかはわからないが、洒落た内装をしていた。フロントに通され、手続きを済ませ、ドミトリーに案内された。居心地のよさそうなベッドではなかったが、安いので仕方がない。どうやらほぼ満室で、ドミトリーも満員だったように思う。この日の夕食はどうしたんだっけ?Rumiで済ませたような気がする。移動で少し疲れた・・・

ブハラ→ヒヴァ – 2019年5月8日(Day19)

9時半ごろに起き、Rumiの玄関先のテラスで朝食を取る。Rumiの朝食は豪華で、ミルク粥、パン5切れとジャム、ゆで卵1個、きゅうり、トマト、さらに3種類のパン、そしてポット入りのお茶。量が多くて大満足だった。他の客も朝食を取っていたが、やはりロシア人が多いようだった。軒先に大型のバイクが数台停めてあった。おそらくバイクで旅をしている人がいるのだろう。

チェックアウトして、旧市街を歩く。入り組んだ古い町並みだ。どこもかしこも砂色の建物のため、すぐに迷いそうだった。

ウルグ・ベク・マドラサに到着。ここも美しい建築の宗教学校。周囲には土産物屋や飲食店があり、観光客で賑わっていた。ブハラにはほとんど滞在せず、ヒヴァへと向かう。

ヒヴァ行きのバスターミナルへは、アジアホテルの向かいのバス停から9番のバスに乗れば良い。カラバンバザールというところらしい。バスの車内で女の子が僕に話しかけてくれた。7歳の可愛らしい子だ。英語はどこで勉強したんだろう?塾かなだろうか。

どこに行くの?名前は?ブハラは好き?ブハラの食べ物は食べた?どこから来た?東京?うちに来たらいっぱいご馳走するよ?などと聞かれ、会話がはずむ。別れ際にウズベク語でハンサムだからまた会いたい!的なことを言われてバスの車内が湧く!なんだか温かい雰囲気のバスだったな。

バスの運転手にここで降りろ!あそこからヒヴァへ行ける!と言われるがままに慌てて降車。バスターミナルにはマルシュルートカが何台か停まっていた。乗り合いタクシーの運転手に話しかけると、ヒヴァまでは110,000ソムということだった。少し高い気がするが、最初は150,000ソムと吹っ掛けてきたし、一度無視して他の場所でバスは無いか聞いてみてもどうやらなさそうなので、まあ、よしとする。すでに人は集まっていて、女性と子連れの女性が乗っていた。彼女の大量の荷物に押しつぶされそうになりながら車に乗り込む。14時半ごろに出発。

タシケントからかなり西に進んだが、ひどく道がわるく、砂埃がすごい。砂漠のようなステップのような地域をひた走る。途中で休憩し、飲み物を買う。中年で厳つい体つきをした運転手は、若い子連れの女性に気があるように見える。妙になれなれしいのだ。これがウズベキスタンでは普通なのか?1歳ぐらいの女の子を抱きかかえてあやしている。3時間ほど砂漠を走る。羊の放牧をしている人を見かけた。運転手は電話しながら運転しており、80kmほどしかスピードを出していない。100kmぐらい出して急いでほしいのだが・・・19時ごろ、まだ全然明るい。前方に鉄道が走っているのが見える。ネズミ捕りをしている警察がいる。検問のゲートをくぐる前にシートベルトを締める運転手、ゲートを出たら即外していた。20時40分ごろ、アムダリア川を渡る。川の幅は数キロあるようだ。川を渡れば、すぐウルゲンチである。21時にウルゲンチに到着。ここで親子は降りて行った。大量の荷物を別の車に移しているようだった。すでにかなり暗くなっていた。

22時にヒヴァに到着。アリベックという名のホテルの前で停めてくれた。8時間近く移動したので、かなり疲れた。ヒヴァがこんなに遠いとは思っていなかった。これで110,000ソムならリーズナブルだろう。チェックインを済ませた。今回泊まるのはドミトリー。2泊で236,600ソム。4人ドミトリーは満室で、2人はスイス人の女性2人、それから日本人の男性。聞くと、長年東急不動産に努め渋谷の再開発などにも携わった人だそうだ。退職後、1人で旅行をしているらしい。

ほとんどなにも口にしていなかったため、外に出て食事を取ることにした。とはいえ、飯を食う場所など殆どなかったのだが・・・幸い、アリベックの近くに屋台があり、そこでホットドックを頼んだ。しかし、不味すぎて半分も食べられなかった。不要に盛られたマヨネーズとケチャップ。ニンジンの漬物。どうやったらまずいホットドッグを作れるというのだ。がっかりしながら寝床についた。

ヒヴァ – 2019年5月9日(Day20)

気持ちいい朝だ。ウズベキスタンの気候は本当に気持ちがいい。アリベックのテラスに上がって朝食を取る。アリベックの朝食はこれまでで一番豪華だった。目玉焼き、ソーセージ、サラダ2種、チーズ、フライドポテト、パン2種、オムレツ、ナン2枚とジャム、いちごとベリー、ポット入りのお茶。イチャン・カラが見えるテラスのテーブルで、これらを食べてとても満たされた気分になった。

今日はイチャン・カラ周辺を見て回る。まずは鉄道を予約するために、イチャン・カラの東側にあるヒヴァ駅に向かった。大きな駅舎の建物のとなりにこぢんまりとしたチケットオフィスがあった。チケットカウンターは誰もおらず、Excuse meと呼んで見ると女性の職員が出てきた。

ヌクスまで、アクタウまでと色々な選択肢を提示して調べてもらったところ、翌々日5月11日の早朝4時12分発のヌクス発アクタウ行きの列車を予約することができた。アクタウの近くにあるマンギスタウという街に到着するのは翌日7時59分だ。料金は30万ソムぐらいだったと思う。チケットが買えて安心した。

駅の近くのコンビニのような食料品と日用品を売る店でRefresherという炭酸飲料を買った。スプライトとそっくりだ。爽快なレモンの味。この暑さでこそ飲みたい味だ。

現金を引き出そうとATMに寄ってみるが、ここでも引き出せなかった。クレジットカードになにか問題でもあるのだろうか?単にウズベキスタンの銀行との相性が良くないのか?

イチャン・カラの城壁の周りを歩く。中に入るにはチケットを買わないといけないが、ちょっと高かったので断念。とはいえ、周りを見て歩くだけでもけっこう面白い。

カラッとした天気。イチャン・カラの城壁はレンガ造りで、なにもかもが乾いている。雑貨の屋台がたくさんあり、絨毯やバッグなど、ウズベキスタン特有の模様のものを売っている。観光客が多い。日本人もよく見かける。カフェもある。こんなところで、アイスコーヒーを飲んだら、さぞ美味しいだろうな…

城壁の南側にホテル・アジアという大きなホテルがある。ちょっと中を覗いてみたが、なかなか高級そうだった。確かここに寄ったのもATMを使うか両替をするためだったと記憶しているが、結局ATMは使えなかったはずだ。(ドルか円の両替はできたかも…)

一通りイチャン・カラの周辺をまわったら、夕方ちかくになっていた。

ナウローズ・チャイハナという城の北側にあるレストランに入った。客はいなかった。テラス席に座ることができた。風が気持ちいい…

参考記事:https://4travel.jp/travelogue/11228440

ケバブとプロフを頼んで、ゆっくりと食べた。本を読みながら、この旅について考えた。ただ彷徨うように、時間に身を任せ、急ぐわけでもなく、なんとなく自分が決めた場所を目指して旅をする。気楽さと不安。スリルよりも平穏。どこかを目指して旅をしても、目的地に着いた瞬間に、その目的は達成される。ヒヴァで何がしたいわけでもないのだ。ただ、来たかっただけ。遺跡がみたいわけではない。ただ時間を消費する。

ヌクスからアルマトイへ向かう飛行機を予約した。明日はヌクスへ向かう。

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