この記事は、2019年4月20日~5月25日までの約1ヶ月間、シルクロードを周遊した際の記録(日記)です。
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2019年シルクロードの旅のまとめ
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アルマトイ – 2019年5月2日(Day13)
8時起床。雨が降っていた。晴れるまで部屋にいた。昨日バザールで買ったパンの上にチーズとサラミと馬肉の燻製を乗せてオープンサンドにした。これはめちゃくちゃ美味しい!その後も小腹がすいたときに、この簡単なオープンサンドを作って食べた。
13時頃になると天気が良くなり、行動を開始した。今日はメデウに行ってみよう。メデウ行きのバスはカザフスタンホテルの前から出ているらしく、歩いて向かった。途中、カフェがあったのでそこでコーヒーを飲んだ。
12番バスでメデウへ向かう。終点がメデウだ。料金は150テンゲ。外を見ると少し曇っていた。メデウの天気はどうだろうか?バスは市街地から山の方へと向かう。緩やかな斜面を登っていく。
30分かからずに終点に着いた。気温は10度程度だろうか?少し寒いのでダウンジャケットを着た。メデウのゴンドラ駅からリフト(ゴンドラ)に乗ってシンブラークに向かう。ゴンドラは3,500テンゲだった。メデウにはこれと言ったものはなく、スキージャンプのモニュメントがゴンドラ乗り場の前ににある程度だった。あくまでも、シンブラーク行きの中継点のようだった。
ゴンドラに乗る。山の天気は晴れているようだった。山の斜面沿いに登っていく。意外と高い。後方にアルマトイの街が、足元にはスケートリンクが見える。
前方には雪山がそびえ、その周りは雲で覆われていた。
10分ほど乗ったところで、だんだんとゴンドラの中が冷えてきたことがわかった。外気温は5度ぐらいだろうか?山の斜面で草を食む羊が見えた。馬もいる。
雪山にはスキー場があるようだったが、スキーをしている人は見えなかった。おそらくシーズンではないのだろう。
30分ほどのゴンドラ旅を経てシンブラークに到着。スキー場のリフトは動いているようだが、スキーをしている人はやはりいない。シンブラークには特に何かがあるわけではなく、ただのスキー場という感じで、レストランがある程度だった。売店でコーヒーを買った。800テンゲ。温かい。
鷹を肩に乗せている人がいた。カザフスタンの伝統衣装らしきものを身に纏っている。鷹と一緒に記念撮影ができるようだ。何人かの客がいた。おそらく、昔のカザフ族は鷹を使って狩りをしていたのだろう。
天気がよければ雪山も見応えがあっただろうが、特にすることもなく、下山することにした。
市バスを乗り継いで駅に向かった。タシケント行きのチケットを買わないといけない。カザフスタンホテルの近くのバス停で141番のバスに乗り、アルマトイⅡ駅へ向かった。地図を見ながら、バスが駅前の大通りに入るのを確認し、駅舎らしき大きな建物の前で降りた。他の乗客も大勢降りていった。
チケットがどこで買えるのか、具体的なことはわかっていなかったが、駅前を歩くと、それらしき建物があった。入ってみると旅行代理店のようだった。てっきり駅にチケットカウンターがあるのだと思っていたが、まあいい。建物の中にはカウンターがあり、そこでチケットの予約ができるようだ。近くにいた人に列車の予約をしたい旨を伝えると、英語を話せる女性スタッフが出てきた。彼女はバルと名乗った。歳は私と同じくらいだろうか?カザフ系の顔つきだった。
アルマトイからサマルカンド、またはアクタウ行きの列車を予約してしまえば楽だろうと思ったが、あいにく良いチケットがなく、タシケント行きを購入することにした。その後の旅はタシケントに着いてから考えよう。5月3日、つまり明日出発のタシケント行きのチケットを21,900テンゲで購入することにした。日本円で約6,370円。明日の8時にアルマトイⅠ駅を出発し、タシケントには翌7時に到着する。アルマトイⅠ駅はアルマトイⅡ駅からは離れていること、駅には30分前に着いた方が良いことをスタッフから教わった。
タシケントはビザ不要だが、果たして滞りなく行けるかどうか、少し不安だった。まあ、不安に思っても仕方がないのだが。
さて支払いとなったとき、この店ではクレジットカードが使えないことがわかった。どうやら端末の故障のようだった。手元にあった人民元を外にある両替屋でテンゲに替えた。
バルという名前のスタッフさんは、予約の際に色々と教えてくれたり、通訳をしてくれたりと非常に頼りになった。連絡先を交換した。
チケットの購入を無事に済ませ、気が楽になった。
時刻はまだ17時だった。日本人墓地に行ってみることにした。
アルマトイⅡ駅から141番のバスに乗った。大通り(Rayimbek Ave)を西に走る。運転手に行き先を書いたメモを見せた。おそらく私の意図を理解したようで、降りるべき場所の直前に教えてくれた。バスが南に曲がる手前で下車した。少し歩くと、墓苑らしき入り口を見つけた。門の中に入ると、この墓苑の管理人らしき人がおり、一言「ヤポン」と言うと日本人墓地の場所を教えてくれた。どうやら日本人墓地は墓苑の奥の方にあるらしい。
ぬかるんだ道を歩く。木々が生い茂っており、なかなか気持ちのいい場所だ。カザフスタンの墓石は個人の顔をそのまま彫ったものが多い。15分ほどで、それらしき場所に着いた。
石碑を見るとドイツ語で書かれてあり、これはドイツ人の墓だとわかった。日本人墓地は隣だった。
生い茂る木々の中に墓石が並ぶ空間が作られてた。腰ほどの高さの柵で囲まれており、けっこう広い。一軒家が5,6軒は建ちそうな敷地だ。墓石は縦2メートル、横1メートルの長方形で、それが横に5つ、縦に8個程度だろうか、等間隔に並んでいた。名前が彫られているわけではないようだ。1つの墓石に6人が眠っているらしいから、ざっと200人以上が埋葬されているということだ。墓石の周りには草が生い茂っていたが、カザフ人らしきおじさん(もしかすると在外邦人かもしれない)がちょうど草刈りをしてくれているところだった。
柵の外には祈念碑が建てられてあった。そこにはこう記されていた。
第二次世界大戦後に当地で亡くなられた日本人抑留者の英霊を悼むとともに墓地改修を支援頂いたアルマトイ市民並びに本墓地を守っていただいたカザフスタンの方々に感謝いたします。2011年11月18日
カザフスタンの人々がこの場所を手入れしてくれていることに、感謝しかなかった。安らかに眠るよう祈りを捧げた。
墓地を後にして、来た道をバスで戻ることにした。近くのバス停で待つも、なかなかバスが来ない。近くの売店で飲み物を買った。程なくしてバスが到着し、アルマトイⅡ駅まで戻った。途中、腹が減ったので、肉の入ったパン(サモサ)を買って食べた。
夜になって、トルキスタンホテルの近くにあるサウナに行ってみることにした。おそらくアルマトイでも最大規模のサウナだろう。Arasan Wellness & SPAという名前で巨大な建物の中にそのサウナはあった。料金は1時間1,800テンゲ、2時間だと3,100テンゲだった。利用しなかったがマッサージは9,000テンゲだった。スリッパとタオルは150テンゲで借りられる。
受付を済ませ、中に入ると広いロッカームームがあり、脱衣して中に入ると様々なサウナや水風呂、プール、マッサージ室などがあった。風呂はなく、純粋にサウナ施設というべき場所だった。とても広い施設を多くの人が利用していた。みんな体が大きい。
サウナは3種類あって、高温で扉を開けただけで熱風が体を切り裂くロシア式、室内がスチームで充満しているトルコ式、そしてフィンランド式があった。特にロシア式はめちゃくちゃに熱く、私は5分も耐えられなかったが、カザフの人々はそこで体を動かしたり、オークの葉でできた団扇(ヴィヒタ)で体を叩きあったりしていた。みんな苦しそうな唸り声を上げていた。サウナの中にヴィヒタで体を叩く役割のスタッフがいて、それはもう暑そうに見えた。よくこの熱気に耐えられるなと思った。やはりサウナの本場はすごい。
ロシア式のサウナから出て桶に溜まった冷水で体を流すととても気持ちが良かった。プールは円形で、ドーム状の高い屋根で覆われていた。あまり勢いをつけて飛び込むと誰かに怒られるかなと思い、ゆっくり飛び込んだ。足が底につかない。水深が2メートルほどあるようだった。こんなに深いプールは初めてだった。サウナと水風呂、プールを繰り返すと、国境越えで張っていた肩と背中が随分楽になった。これで明日の列車の旅も乗り切れそうだ。
サウナを出て、施設に併設されているバーでコーラを頼んだ。火照った体にコーラが流し込まれる。こんなに美味いものはない。
三晩連続でASHANA SOFRAへ。イスラム系のいつもの女の子いた!いつものレジの女の子もいる。笑顔が素敵で、癒やされる。決済する際にクレジットカードの暗証番号が必要なのだが、それをいつもレジの女の子に電卓で暗証番号を教え、それを打ってくれていたため、3回目ともなるともう番号を覚えてしまったようだ。妙に自信満々で、暗記したことを自慢したいような顔だった。ぜひともその暗証番号は忘れてほしいのだが。記念にレジの子と写真を撮った。
今日の夕飯はハンバーグとピラフ、ジャガイモとニンジンと肉の入ったスープ、そしてコーヒー。どれも美味しいがやはり味が濃いな・・・3日間もこの店に通って、飽きることなく美味しい食事ができたことは幸せだった。
隣の席で女の子4人が談笑している。そのうち1人はムスリムのようだ。新鮮な光景だった。外を歩く人は少ないが、みんな車で来ているのだろうか?時刻は0時半、こんな夜遅くでもASHANA SOFRAは夜行性なカザフの人々が思い思いの食事をとっていた。
アルマトイ→タシケント – 2019年5月3日(Day14)
アルマトイは朝からひどい雨だった。
午前7時半、トルキスタンホテルを出て、タクシーを捕まえ、アルマイトⅠ駅へ向かう。おおよそ15分ぐらい走っただろうか、駅に到着した。列車の出発は8時11分だ。
広い鉄道駅、チケットは持っているがどうやって列車に乗ったらいいのかわからない。駅にいる人、何人かに話しかけてみると、出発するプラットホームの番号を教えてくれた。列車はまだ来ていないようだ。カザフの人は親切なので、言葉がわからなくても、わからないなりにヒントを見つけることができる。例えばこの時は、ニエットと地面を指す仕草で、まだ来ていないからここで待てという意味だと取れた。
また、こういう時は複数人に聞いてみるべきだ。1人に聞いても間違った情報を伝えられることがあるからだ。もちろん、みんな親切に答えてくれるだろうが、それが正しい情報とは限らないのだ。
雨のせいで身体が冷えていた。駅構内にある軽食屋で250テンゲのインスタントコーヒーを頼んで、その場で飲んだ。甘くて温かい。味は薄い。
駅の放送でタシケントという単語が聞き取れたので、周りに聞いてみると列車が来たという。プラットホームに走って行き、車掌らしき人にどの車両か聞き、列車に乗った。8時12分、列車は定刻より遅れて到着したようだった。
ソ連製と思われる緑と青と白で塗装された車体。ベッドの敷布団の色も緑と青だった。2段ベッドが向かい合ったコンパートメントに座った。1区画6人で、通路を挟んで向かいにも縦にベッドが設置されている。列車は中国のものより古そうだが、広く感じた。中央アジアの人の方が大柄だからだろうか。
コンパートメントの向かいのベッドに座っているのは50歳ぐらいと思われる女性だ。カザフスタン人なのかウズベキスタン人なのかはわからない。どうやらこの方は行商のようで、輸入品と思われる品物がベッド下に大量に置かれていた。
話してみると、何を言ってるかわからないが、なんとなく話せている。不思議なものだ。手に持っていた地球の歩き方を渡すと、各言語の会話帳のコーナーを興味深そうに読んでいた。
8時44分、列車は雨のアルマトイを出発した。しばらく雨が降っていたが1時間ほどであがり、広大な草原が窓の外に広がった。ああ、これぞ僕が求めていた列車の旅だ。なにもない草原をただ見つめるだけで、なんとも言えない旅情を感じることができるのだ。
向かいの女性が声をかけてきた。地球の歩き方の会話帳で、食事という単語を見つけたようだ。これは、お腹空いてるでしょ?私の食事を分けてあげるわよ、と言うことなのだろうか。たしかにそろそろ10時前、朝食を食べたい時間ではある。
列車での食事にと思い買っておいたパンとチーズを、自分のバックパックから取り出した。途中駅でなにか買い物できるだろうと考え、極めて簡素な食事のみを持ち込んできたのだ。すると、向かいの女性はサラミ、ゆで卵、魚の煮たもの、甘いパンなどを並べ始めた。
女性はサラミを切ってくれて、私に分けてくれた。ゆで卵も、魚も分けてくれた。さらに紅茶まで頂いた。ちなみに中国の列車と同じく給湯器が備え付けてあり、さらにガラスに金属の取っ手がついたカップも列車で提供されている。これに各自が持参したティーバッグを入れ、さらに角砂糖を目一杯入れ、紅茶とするわけだ。
あまりにも完璧な朝食を頂き、感謝しかなかった。言葉はわからないが、紅茶はからだにいいのよ、なんて言っているようだった。
地球の歩き方の会話帳を頼りに、色々話しかけられる。彼女は50歳。私は29歳だというと、20歳ぐらいに見えると言われた。窓の外にはひたすら草原が流れていく。ひまわりの種を食べた。
さすがにみんな暇なようで、通路側のベッドにいる男性3人がトランプを始めていた。スマホゲームではなくトランプというのは、なんだか良いもんだ。車内販売でアイスが売られていたので、1つ買って食べてみた。バニラのその側にチョコレートがコーティングされ、さらにその上に砕いたナッツがまぶされている、アイスバーだ。なんだかパサパサして味も単調というか甘さがしつこい。日本のアイスのような繊細さや滑らかさがなく、あまり美味しいとは言えないものだった。
11時16分、Otarという駅に到着した。しかし降りられない。列車の通過待ちなのだろうか。
14時15分、周りの乗客たちが昼ごはんを食べ始めた。通路側の席では、男性の乗客が四角い器のカップ麺にカザフのナンを浸して食べる。なんだか美味しそうだ。紅茶には6つ角砂糖を入れて飲んでいた。この飲み方が中央アジア流なのだろう。
大皿のプロフをみんなで食べていた。それを向かいの女性が小皿にもらって、私にもくれた!油っこくて、美味しい。キュウリが入っている。紅茶を飲む。試しに角砂糖を3ついれてみる。甘すぎる。これだと紅茶の味しないのだが、向かいの女性は紅茶を飲むといいんだよ、と言っている。(と思う)この方も角砂糖を3つ入れている。
シュ駅に到着した。レンガ造りの駅舎。降りてタバコを吸った。売店でインスタントコーヒーを3つ買ったが、300テンゲもした。これはボラれたのだろうか?水とトイレットペーパーも買った。天気が良かった。
16時頃、変わらず草原が続く。赤い花が綺麗に咲いている。畑を耕す人が視界に入ってきた。草原はこんなにも綺麗なんだ。ススキがあったり、花があったり。牛や馬が通り、池がある。時々見える白い土は、塩らしい。向かいの女性が教えてくれた。紫色の花があり、左手に雪山が見えた。山の向こうはキルギスだろう。
右手に大量の牛。それにしても、赤い花、黄色、紫、白など色とりどりで美しい。ススキや淡い色の花をつけたブッシュ。時折集落があり、人がいる。電線が通っているから、電気はあるのだろう。牧畜で暮らしているのだろうか?そんなことを考えながら、飽きずに外を眺めていた。そして、だんだん陽が落ちてきた。
17時10分、ルゴヴォイ駅に到着。列車を降りると、物売りの女性たちが待ち構えていた。飲み物や軽食、タバコを売っているようだ。どういうわけか、車掌か鉄道職員らしき2人と写真を撮った。
18時15分、左手に大きな雪山が見えた!なんとも美しい。
18時39分、右手には幹線道路があり、列車と並走している。左手は広大な草原と山。陽は傾いているもののまだまだ明るい。
19時07分、大きな街に近づいている。タラズという街で、ここで停車した。
19時30分、タラズを出発。そろそろ夕食の時間のようで、周囲の乗客たちが食事の準備を始めていた。向かいの女性がインスタントラーメンを作ってくれた。遠慮したんだが、食べときなと言われ、ありがたく頂いた。何から何までありがたい。煮込んで作るわけではないので、少しぬるい。味は薄めだがけっこういける。
20時頃、夕焼けが見えた。まだ明るい。
この女性はひとりでタシケントに向かっている。カバンにはパンやサラミ、ゆで卵、ラーメン、ジャムなどなんでも入っている。女性ひとりで列車に乗っていいるのは、周りを見る限りでは彼女だけだ。いったい何故だろう?周りにもジャムを配り、世話焼きのようだ。
20時10分、初めてのトンネルをくぐり、山に入ってきた。水を飲む馬。陽は完全に落ちた。左手には空に溶け込むような雪山。この向こうはキルギスとウズベキスタンの国境のあたりだろう。
21時になり、外は完全に暗くなった。缶詰をおかずにナンを食べる人。車内で食べる物の選択肢は中国よりも多いようだ。その後、21時42分、駅についた。23時に消灯した。
アルマトイ→タシケント – 2019年5月4日(Day15)
翌朝3時頃、周りが騒がしくなってきた。国境が近いのだろうか?3時43分、サラガーチというところに着いたらしい。入国管理官らしき軍人にパスポート提出した。おっちゃんと握手してさようなら。この人も面倒見が良かった。
4時12分、パスポートが戻ってきた。無事にスタンプをゲット。車内には軍事、ボーダーコントロールの職員が乗り込み、荷物チェック。スタンプも車内で押される。英語が出来る人は少ないがいないわけではない。犬も乗り込んできた。青い服を着た軍人が、ケイ、分からないことがあれば俺に聞け!と言ってくれた。頼りになる。
向かいの女性が荷物をまとめている。この時に気づいたのだが、床に置かれた大量の荷物はすべてこの女性のもので、この方がカザフスタンとウズベキスタンを行き来する行商人だということを理解した。荷物は衣類や子ども用のおもちゃだと思う。
5時47分、カザフスタンを出国。列車が動き出す。
6時05分、ケレスに到着。ウズベキスタンに入った。軍人が乗り込んできた。若い軍人に英語で質問される。バッグを開けるが、少し見ただけでOK。所持金がいくらかを聞かれる。2,000USD以上だと申告しないといけないらしい。どこに行くのか、滞在期間を聞かれる。パスポートを渡して、待つ。寒い。毛布をかぶっている。
ウズベキスタンの女性客3人と談笑。どこに行くの?何日ぐらい?1人?2人の方がいいわよ。結婚は?など。色々話した。お互いに名前を教えあったりして、楽しかった。なんなら案内してほしいなんて思った。
7時半、パスポートが返ってきた。スタンプ済み。税関申告は不要らしい。思った以上に簡単に入国できてホッとした。列車はタシケントへ向かう。窓の外に大量のコンテナが見える。
タシケント駅に到着した。大きな駅だが、プラットホームにはほとんど人がいない。この列車から降りる乗客のみだ。向かいの女性は大量の荷物を荷台に乗せ、プラットホームで待っていた男性とともに荷物を運んでいった。ここでお別れだ!本当にお世話になった。
タシケント駅の外に出ると、タクシーの客引きがわんさか湧いてきた。タクシーに乗るつもりはない、メトロはどこかと聞いてみると、メトロは爆破されて使えないと、あまりにも古典的な方法で私を騙そうとしてきた。さすがにおかしくなって笑ってしまった。初めてインドを訪れた時のような、懐かしい感覚だった。とにかく、メトロは爆破されているわけもなく、ホテルのあるチョルスーバサールの近くの駅へ向かった。
チョルスー駅で降りると、そこはもうバザールだった。まだ人はまばらで、出店を営む人たちが開店の準備をしているところだった。タクシーでホステルへ向かった。40,000ソムも取られたが、これがボラれたようだ・・・
チョルスーバザールから遠くないホステルはその名をPremium Hostelと言った。1泊1,000円程度と格安だが、カプセル式のベッドはしっかりした造りで、ランドリーもあり、朝食をつけることもできる。そしてなにより、トイレもシャワーも清潔だった。
フロントの横にあるソファに座っていると、ルーマニアから来たという老夫婦に話しかけられ、ウズベキスタンの旅の指南を受けた。ヌクスとアクタウの名所を教えてもらったが、それがどこだったのかは今となってはよく覚えていない。おそらくザビッツキー美術館だったように思う。日本にも来たことがあるらしく、宮島や松島を訪れたそうだ。退職後に海外旅行に行きまくっているのだろうか?そのような生活が送れたら、素敵だろうなと思う。
日本人の女性にも会った。GWを利用して、東京から10日間のバケーションで今日アルマトイ、インチョン経由で帰国するらしい。そうか、GWか。ふと曜日や時期の感覚が無くなっていることに気がついた。この後、ウズベキスタンで何人かの日本人に会ったが、GWであることと、ウズベキスタン航空が成田からタシケントへの直便を飛ばし始めたこと、ビザが緩和されたことなどがきっかけとなり、ウズベキスタンを訪れる日本人が急激に増えているそうだった。
身支度をして、昼頃、外に出てみた。
まずはチョルスーバザールを目指す。その前に両替をするために、Samarqand Darvozaというショッピングモールへ向かった。ウズベキスタンで日本円が両替できるところは少ない。 Samarqand Darvozaは大きなショッピングモールで、ファーストフード店やカフェ、メイソウなどが入っていた。Orient Finans Bankという銀行で両替ができる。対人の外貨両替コーナーで、女性の職員に一万円札を渡すと、大量のソム札になって返ってきた。100万ソムはあるだろうか?
タシケントは日差しが強く、かなり暑い。澄んだ青空とソ連風の建物が美しい。街を歩く女性は本当にキレイで、洋服もシャレていた。カフェで買ったアイスコーヒーを飲みながらバザールへ向かった。
チョルスーバザールに到着した。青いドーム状の巨大な建物の中に入る。想像どおりの巨大なバザール、ドームの中は精肉や乳製品、キムチなどが並ぶ。2階にあがるとドライフラワーを売っていた。サラミやヨーグルトを味見させてもらった。どれも美味しいが、アルマトイの馬肉のほうが美味しいかな?ぶらぶらとバザールの中を歩く。ドームの外にも市があり、ありとあらゆるものが売られている。色鮮やかで複雑な模様の食器や野菜、果物、根菜、乾物・・・様々なものがあったが、どこか興味をそそられない。少し旅に疲れたか、インプット過多なのか。
プロフとケバブ(シャシリク)を食べる。美味い。必ずナンが付いてくるので、なかなかお腹いっぱいになる。プロフは脂っこいが、お茶を飲めばすっきりとする。シャシリクに添えられた玉ねぎも脂っこさを中和させてくれる。
バザールの店主は積極的に話しかけてくれ、味見をさせてくれるので助かる。
チョルスーバザールを北上し、ハズラティ・イマーム広場へ向かう。地図を見ながら、細い道が入り組んだ旧市街を歩く。本当にこの道であっているのか?不安になりつつ、歩く。静かだが意外と車通りが多い。そして子供が多い。無邪気に遊ぶ子どもたちとすれ違いながら、広場を目指した。旧市街を抜け、大きな通りに出る。少しあるくとハズラティ・イマーム広場の大きなモスクが見えた。
その巨大な敷地にあるモスクには、イスラム教徒の団体や欧米からの旅行客がたくさん来ていた。あまりにも青い空と、碧い装飾のモスク。その巨大さと装飾の繊細さには圧倒された。なんと美しい碧なのだろうか。たしかに美しいが、一方でどこか惹かれない、没入しきれない感がある。それはなぜだろうか・・・
モスクから出て博物館へ向かう。入り口の近くにあるバス停いた母娘にどのバスに乗るべきか聞くと、タクシーを使ったほうが良いとのことで、タクシーを呼んでくれ、しかも料金の交渉までしてくれた。8,000ソム。可愛らしい女の子だった。
ウズベキスタン国立歴史博物館、四角いどっしりとした建物だ。長安に関する展示をしていたが、そこでも物足りない何かを感じ、ざっと一周見ただけで後にした。アミール・ティムール広場へ向かう。広大な広場には絵を売る人がいたり、アイスの売店があったり、子供向けの遊具があったりと、土曜日の人々で賑わっている。天気がよく、みんな芝生の上に座って談笑している。噴水や花壇も美しい。旧ソ連時代に作られたウズベキスタンホテルは、古めかしくも荘厳で威厳があった。
アイスを食べて、最寄りのメトロ駅まで歩こうとして、少し道に迷って、高校らしき建物の前に来た。School 110と名前のようだ。下校の時間に被ったようで、子どもたちが校門から出てきて、それを親が車で迎えに来ていた。土曜日でも授業があるのだろうか?アジア系の顔の子からヨーロッパ系の金髪の子まで、顔立ちはバラバラで、また、年齢も高校生らいき生徒からもっと幼い子までバラバラだった。
女子高生3人組にメトロの道を聞いた。1人は韓国系だろうか?1人はとびきり可愛く美しいブロンドの髪をしていた。笑顔が素敵だった。メトロの方角を聞き、これからどこへ行くの?と聞いてみると、手を三角形にして家に帰る、と言う。終始、彼女たちはロシア語で話していたようだったが、英語が少しはわかるようだ。
高校の周りをぶらぶらしていると、公園のような場所があり、そこに簡単な出店というのか、屋台のようなものが並んでいた。その中には旧ソ連時代の骨董品を扱うがらくた屋のようなものがあり、なかなか興味深い品を揃えていた。
メトロに乗って帰る。ゴフル・グロム駅の近くに、小さな商店の集まりがあるエリアがあり、そこでハンバーガーとペプシを頼んで夕食とした。思いの外ボリュームのあるハンバーガーで、味もまずまずだった。ウズベキスタンのスパイスの香りがする。周りは子連れが多いようだった。
宿に戻って1日ぶりのシャワーを浴びた。ぐっする眠った。
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